【身近な地域の歴史-38】 吉田松陰の眠る松陰神社 (東京都世田谷区)

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 多くのことを学んで現地におもむくと,そこでいろんな「自問自答」が生まれてくると思います。

 知りたいことが何もないところからは,学ぶ意欲は生まれてこないですからね。

 「教育者」としての吉田松陰のノウハウを学びとってみたいです。

【キーワード】 吉田松陰 松陰神社

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この記事へのコメント

sakusaku0428
2013年12月25日 06:29
山口県で中学校の理科を担当しています。
先日山口県の萩の方で「協調学習」(3つのグループに3つの課題を与えた後にジクソー学習をする)の研究授業がありました。公開授業後に教師集団で、社会科(江戸時代はなぜあんなに長く続いたのか?)の模擬授業を受けました。
私は「外交」というグループでした。資料を見たときに「出島があった藩の人たちは外国の人たちが攻めてくるかも…」とかいう危機感は持っていなかったのだろうか? もしかして、黒船が来るまで幕府にそのような意見をすることもできなかったのかなぁ…いや黒船が来てからも…
とかいろいろ気になることがありました。
n_c_s
2013年12月30日 23:39
長崎は幕府の直轄領ですね。
海外の情勢については,オランダ商館長を通じて幕府の人間はよくわかっていました。
オランダ国王からの勧告もありましたね。
模擬授業については,「外交」というグループの立て方からも,「幕府」を中心に考えさせようという意図があるようです。
ただ,「海外の情勢」「雄藩の動き」を抜きにして,「開国」「倒幕」という動きは見えてきません。
また,ペリー来航後,幕府は朝廷や大名と協調しながら危機に対処しようとしていました。
老中の阿部正弘が,先例を破って諸大名や幕臣に「開国」についての意見を求めています。もしこの路線を幕府が守っていたとしたら・・・攘夷を主張する藩の抵抗を上手くかわしていたとしたら・・・井伊直弼が強圧的な政治をしなければ・・・将軍の後継ぎ問題がなければ・・・など,いろんな「もし」が浮かんでしまう,とても複雑な時期の問題であったことはたしかですね。

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